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吾子の成長記(ako017.html)

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2001/4/8(日) →題名目次
ご機嫌斜めな一日 生後548日(1歳6カ月)

 妻が帰っても2時くらいまで寝ていた。起きたらご機嫌になっていると思いきや、不機嫌のまま。母を見れば機嫌が直ると思いきやそれも違う。眠る前と変わらず、鼻水を垂らして泣く。空腹なはずなのに何も食べない。不機嫌の余り、ついには開いている窓から赤ゲットを放り投げようとしたくらいだ(手すりにひっかかってセーフ)。しばらくほっておくことにすると、寝る前と同じように泣き止んだ。そっと覗くと、窓から外を見ていた。
 そうしてそっとしておいてだいぶたって、両親がいるところにひょっこり顔を出し、にこっ、とした。そこからはいつもの吾子だった、偏食をすることを除いては。9時前にご飯とバナナ半分を食べて以来、かるんぼう4本しか食っていないはずなのに、ご飯、食べない。奥さんがダノンを与えると、喜んで食った。私が外出していた4時前に、観念して普通にご飯を食べたという。
 5時をはさんでしばらく公園へ。久しぶりである。桜の花びらがここでも散り敷いている。花びらとしてばらけない花のまま落花していた桜を、子はつまみあげた。これはうちに帰るまで手放さず、母へのおみやげとなった。あ、正確には1度落として、他の花びらに埋もれたが、子がしきりに「ん?ん?」と探している様子なので拾って渡した。輪くぐりを3回行ったが、その時両手にもっていた小石のひとつを落としたときも「ん?ん?」と探していた。
 今日の久しぶりは、私と入浴したこと。もうヨユーヨユーとふんぞりかえっていたら、あにはからんや、連れてこられた瞬間から大泣き。おいおい、このあいだまで父ちゃんと楽しく入っていたのによぉ。湯船の底に足を着けるのを恐れるようになっていた。妻が入れるときは、浮き輪みたいなやつを付けているのだ。むろん、体を洗う最中も泣いていたが、前の私とは違う。決して動じたりはしない。経験は人を大人にする。まあ最後の方は、泣き方も形だけ、という感じであった。
 夕食。これがまた食わない。私の白米をつまみぐいするのだが、他のものは受け付けない。デザートのマンゴーだけですませた。

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2001/4/8(日) →題名目次
吾子泣き濡れて父は困惑 生後548日(1歳6カ月)

 11時半ころからやさぐれてきた。機嫌が悪かったのが、次第に鼻水を垂らして泣きわめき始める。積み木を渡すと、7段重ね、子の胸のあたりの高さまで積み上げたのは賞賛に値するが、崩れるたびに自棄を起こす。たぶん眠いのだろうな、最近は午後に昼寝をしていたが、朝から運動したせいだろう。
 しかるに、寝ようとはしない。空腹の可能性もある。まだ昼食予定まで1時間はあるが。かるんぼうを渡すと、どうにか食べ始めて静かであった。こりゃ、飢えているのか。・・・・昼食を与えるが、ひと口しか食べない。飲み物もいっさい受け付けず泣き続ける。食事を諦めても食卓椅子から降りようとしない。このたらたら感は眠い証拠だ。
 布団に降ろす。しかし、寝そうで寝ない。うつぶせで顔だけ挙げて泣き続ける。もしや私がうっとうしいのでは。思い当たるのは、かるんぼうを与えて昼食準備をしていたあいだは静かだった。泣く子を置いて離脱。・・・・すると、30秒ほどで泣き止んで、ころりと寝てしまった。・・・・父ちゃん嫌われたのね。12時半である。
 この短い間に、おむつは4回は替えた。水分を取りすぎたのか。

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2001/4/8(日) →題名目次
入学式(妻の) 生後548日(1歳6カ月)

 昨夜の状況は一昨日と同じ。つまり、子の寝相は悪く、深夜あるいは払暁に泣き出して、私の顔を見ても収まらず、妻の横に移ってやっと泣き止んだ次第。私はちゃんと眠れた気がしない。
 朝はほぼ同時に起床。妻の支度のあいだ、子に朝食を与える。保育園に通うときの時間に合わせて、8時45分から与えて見ると、うまく食ってくれた。今日は奥さんの入学式。最初は、保護者たる私と吾子も出席する目論見であったが、昨日の疲労具合から、日曜日くらいは子を外に出すのは休もう、ということに決着した。残念なような楽ちんなような。
 妻が出かけて、手持ちぶさたのあまり、近所をお散歩。日曜日の午前中だけあって車もほとんど来ない。近所の中学校の桜が舞い散っていた。道に落ちている花びらを手で押して回る吾子。桜の妖精みたいだった(着ているものはバナナの精だったが)。一度、休憩して靴を脱がしてはき直してから、歩くのがのろくなった。止めてあるマジックテープをはがそうとする。疲れたのかな、と見ると、またも靴を左右反対に履かせていた。その状態でよくあれだけ歩けたものだ。
 帰宅してすぐにジュースを2杯と、ウーロン茶をグラス3分の1は飲んだ。しばらくして大便。我が朝食であったキーマカレー状軟便。尻たぶによれていて拭くに難渋した。

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2001/4/7(土) →題名目次
ショッピング 生後547日(1歳5カ月30日)

 昨日、開いた窓からLANカードをいきなり放り投げた。幸い、ベランダにひっかかって回収は容易であったが、叱っておかねば。こらこら言っていると、しばらくうつむいてからごまかしに出た。ペットボトルを私にくわえさせて飛ばさせようとした。拒否してさらにこらこら言うと、案の定泣き出してしまった。そのまましばらくして寝て、起きてからペットボトルを私にまたくわえさせた。仲直りの確認か。もちろん受け入れた。
 さて、今日の話。デパートまで子も徒歩でお出かけ。両親にはさまれて、左手は母、右手は父に握られて仲良く。こんな態勢で3人歩くのは初めてだ。いかにも、子供連れのお出かけ。
 妻が手続きをしている間、託児室の前で遊ぶ。手すりを利用しながら10段ほどの階段を自力で降りている。降りるのを見るのは初めてだ。あと2段、というところでお呼びが掛かった。残念。託児室で保母さんに手渡した瞬間、泣き出したのは意外であった。「お父さんがいるからでしょう」とのこと。
 1年ぶりに私の衣装を買いに来た。私を知る人は、まともな冬服を着ているのを見たことがないのをご存じでしょう。また、半袖シャツをめったに着ません。それもそのはず、年に一度、この時期にしか買わないから。去年、担当した店員がいて、こちらが名前を一切名乗らないのに私を認識して、昨年の記録を調べたらしい。そのおかげでものの20分ほどでスーツ上下4着とシャツ、ネクタイそれぞれ6〜7本の購入は終了。便利である。ちょっとしたお得意さま気分。それよりもすばらしい店員である。
 その後、妻の買い物を済ませて食事。子を預けている限りデパートから出られない。どの店も混雑しているので、空いていた寿司屋に入って鉄火重を食ったのだが、高いねぇ。3時間経たないうちに子を連れに。どうやら我々を待ちかねたらしく、いったん顔を出した我々が顔を引っ込めると泣き出した。妻が抱っこ紐で抱いて帰宅。
 3人とも疲れていたらしく、私、子、妻の順で昏睡。2時間ほど寝たところで、子が謎の大泣きを始めた。「夕暮れ泣き」か? 結局3時間ほど寝てしまった、みんな。
 夜になって私がしばらく家を出て帰ると、今日も子によって鍵がかけられていた。用心深いことで。
 いつもジュースを飲むカップは、本体+取っ手+ストロー付きの蓋の3パーツで構成されている。空っぽの状態で飲む真似をして「ぷはー」とやっていたが、本体から蓋をはずしているうちに、取っ手も落ちてしまった。子は、意外さに、しばらく「ん?ん?」て顔をして、落ちた取っ手と本体を見比べていた。可愛かった。

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2001/4/7(土) →題名目次
土曜日はお休み 生後547日(1歳5カ月30日)

 昨日、副園長に個人的に言われたこと。
  1. 歩きが安定していない。頭がふらふらしている。もっと歩かせるように。
  2. 他の園を経験しているかのように、泣いたりしない。驚きである。
 副園長も、昼間ちらとしか会っていない私を、夜に会ったときに吾子の父親だと当然のように分かっていて話し始めたのに驚いた。
 ところで、先週は、「なっちゃん」のオレンジ味をずいぶん飲んだ。おまけとして、ネームプレートが付いていたからだ。子の通園のためにがんばったのである。
 昨夜も、子、私、妻の並びで寝たが、今度は定位置を守って朝まで寝ていた。夜中、泣き始めた子に、ジュースを飲ませるために起きたのと、明け方にもう一度、その時はおしめも替えた。添い寝する、というのはたいへんなものである。
 時に、土曜日は「原則として」保育園は休みである、ということを昨日になって初めて知った。当然今日も子を連れて行く予定だったのに。今日は両親とも休日なのでかまわないが、来週からどうなるのだろう。「原則として」をどう運用できる/させるかだ。
 3人とも休日、というわけで、3人でこれからショッピングにおでかけ。

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2001/4/6(金) →題名目次
子を連れて行きては帰る花の下 生後546日(1歳5カ月29日)

 妻と迎えに。子は我々の顔を見て飛んできた、と妻は言う。妻は買い物に寄り道、春日の中を子を連れて帰る。桜がまだ咲いていた。
 子が台所に向かう。かちゃ、と音がした途端、妻がダッシュ。「すぐ来て」。行くと、子はコーヒーまみれ。でも、冷え切ったコーヒーだから火傷はない。体じゅうからコーヒーの香りが立ち上る。
 子は昼飯中から目を眠たそうにしていた。ベッドに置くまでもなく昼寝。私もいつのまにか睡眠に落ちていた。
 2時間ほどして、起きてきた子に起こされた。妻は何処に?・・・・妻も子の隣で寝ていた。
 子の入浴を手伝った後、夜7時半からの保護者会へ。仕事の行き来以外にめったに夜出歩かない私にとって、初めての道を夜歩くのは新鮮だ。まして時は春。
 5分前に着いたが、またも誰もいない。副園長が主に話し、9時15分まで掛かってしまった。驚き。小児用の椅子にずっと座らされているのは苦痛であった。話のまとまりのなさは予想内なのでさておいて、教育方針、運営方針については、すこぶる安心して信用できそうで満足である。
 帰宅すると子は待っていた。話の要約を終わった後で、子は素直に眠りに就いた。

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2001/4/6(金) →題名目次
添い寝・くらいネ・ナハト・無視かい 生後546日(1歳5カ月29日)

 昨夜は、端から、子・私・妻の順で就寝。妻が真っ先に起床して出かける準備に我らが煩わせられないためだ。
 子の寝相は悪く、おおむね私に頭を向けた垂直の姿勢を維持していた。何度直しても90度回転する。足で、お尻拭き山を崩してしまった。ひとつひとつがどっしり重く、頭を直撃したら泣いていたろう。しかし、子の足の上に崩れ落ちただけで、本人は平気で寝ている。
 子が泣き始めた。ジュースを飲ませるとぐいぐい飲んだ。しかし、その後も安眠にはほど遠く、寝ては起きを繰り返しているようだ。目を開いていたり、座っていたり。その都度、抱き寄せると寝るのだが。それをかなり繰り返したところで、私を越えて母さんがいるのを発見したらしい、「マム」と言って私を乗り越えて妻に抱き寄せられた。・・・・そのまま朝まで熟睡であった。添い寝の父は無視かい。
 妻は6時半に起床。さすが自分の入学のための健康診断となると気合いが違う。父子は8時ころまで睡眠。子は、めずらしくTVも食事も求めないが、こちらからTVを点けてやったら見入っていた。妻が出かける。
 8時45分から子に食事を与える。半分ほどしか食わなかった。ダノンへの食いつきもいまいち。9時15分、ややあわただしく子をベビーバギーに乗せて保育園へ。下見してあったから場所は問題なく、9時25分ころ到着したが、しん、として人気がない。どこから入るんだろう、と思っていると、子と同級と思われる乳児を連れた母親が現れる。その人に入り口を教えてもらっていると、まるで私を待ち伏せしていたかの如く、いろいろな方向から子連れが殺到。どうやらわずかに早すぎたようだ。それで一番乗りだったのに、子を預けたのは私が最後になってしまった。当惑していた私は、別れ際の子の顔を直接は見られなかったが、ガラス越しに見える子の顔は、泣いている子が一杯いる中で、少し不審げな顔ではあったが、泣いてはいなかった。
 もうすぐ妻が帰ってくると連絡あり。一緒に迎えに行く予定だが果たして間に合うか。

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2001/4/5(木) →題名目次
フラッシュバック 生後545日(1歳5カ月28日)

 今朝は7時半の目覚めとともに私の隣に来て、TVを点けるように要求した。久しぶりである。一種のフラッシュバックかな。結局、8時から見せていた。
 寝起きの悪い奥さんに因縁をつけられたので、怒って家出、じゃなくて、早めに出勤。所用を済ませてバスに乗る----昨日よりも心持ち早い時間だからまさかと思っていたらまたバスで奥さんと出くわす。苦笑いをして仲直り。熱いぜ、自分。
 保育園に置くときは、しんみりしていたという。しかし、迎えに行くと、滑り台に夢中で、母に気付かなかったくらいだそうだ。けっこう冷淡。副園長に、一人っ子なのにあまり泣きもしないのでえらい、と誉められたそうだ。
 そういえば、昨夜、ゴミ捨て場に出かけている間に、家の鍵が掛けられていた。用心深いことだ、と思っていたら、吾子が玄関に出て閉めたらしいと推測するに足る材料がある。恐ろしいことだ。奥さんがベランダに閉め出される日も近いだろう。
 今日も帰宅したときに何も変わりがない。やはり冷淡だ。一番密接に子と遊ぶ時間は、奥さんが入浴中の待機時間。今日は、背中から脇をつかんで、150度ほど上に跳ね上げた----首を反らせると顔が私の方に向くくらい。これが気に入って、何度も要求された。
 目をつぶったままくるくるしはじめたが、すぐに止めた。残念なようなほっとしたような。目をつぶるのがお気に入りなのか、最近、半目、あるいは閉じたまま、北京原人のような中腰歩きをする。妙な顔だぜ。
 昨夜、ブライアン・フリーマントル「虐待者(上・下)」(新潮文庫)読了。今月の新刊だ。例によって一気に読んでしまった。

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2001/4/4(水) →題名目次
普通の子じゃないかも 生後544日(1歳5カ月27日)

 そういえば日付が変わる瞬間に地震があった。静岡あたりが震源だったのか、朝の東海道線は10時半になっても乱れていた。
 朝は私の出勤より少し後に子の登園。雑用をしてバスに乗り込む時間に妻が保育園から戻ってくるはずだからそちらの方をきょろきょろ見ながらバスに乗って、乗って座席を確保するまできょろきょろ見ていたら、妻に鳥みたいだった、といわれた。驚いたことに、妻も同じバスに、一つ前のバス停から乗って私をずっと観察していたのだった。子は、保育園に置いてくる時、一瞬泣いたそうだ。今日から吾子だけ2時間保育だ。奥さんが特別に交渉したのだ。
 日暮れごろ帰宅。子は父の帰宅にあまり関心をしめさない。それより、後で書留を届けに来た郵便局員に好奇心を示していたな。鼻水の垂れ具合が昨日より多い気がして心配だ。
 保育園に奥さんが迎えに行くと、特別延長保育の吾子以外はすでに帰宅していて、吾子だけがにやにやしながら待ち受けていたという。保育園室内の滑り台が気に入って何度も滑っていたという。公園での教育が反映しているのかな。
 歯磨きって普通の子は嫌いなのではなかろうか。吾子は、気が向けば自分用の歯ブラシでも妻用の歯ブラシでも口に入れてごしごし動かし、私や、不器用な私をさっさと見限って、妻の所に行って、手の回らない所を磨いてもらう、というか磨かせる。
 また、風呂って、やはり普通の子供はどうなのだろう。最近は、妻が風呂に入ると浴槽前で待ちかねており、妻のお呼びが掛かって私が服を脱がせようとすると、構えて待っている。ボタンを外し損ねて顔がパンストを被った強盗犯のようになってもうめき声一つ上げず脱がされるまま。
 入浴後に、最近髪がまた伸びてきたので念入りに激しく頭を拭くのだが、これを気持ちよさそうに受け入れている。今日は横に顔を向けて横たわったまま拭かれていて、私が手を休めたところで反対向きに寝ころんだ。頭拭かれるのも普通は嫌がるのでは。そして、服を着せる時は本当に協力的。手だの頭だの、必要な部位を私が動くより素早く突きだしてくる。
 もっとも、以上の、普通は嫌がるのでは、というのは、私の子供時代を思い出してのことであるから、一般性はないのかもしれないが。

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2001/4/3(火) →題名目次
一泊ぶりの帰宅 生後543日(1歳5カ月26日)

 昨日の入園式はたいへんだったようだ。時間通り始まらないし子供への配慮とか予定の伝達の不備とかがおばあちゃん・妻とも不満であったようだ。うちに帰ると、入園式でもらったという、色画用紙で作ったひよこ型の手提げバック(もちろん中には何も入れられない)があった。
 今日から慣らし保育で、9時半から1時間だけ預けに妻が出かけた。預けたら親はすぐに帰ってください、と言われていたのだが、あまりにもすぐに追っ払われたので妻は不満であった。子の状態とか注意事項を伝える時間さえくれないのだ。泣いている子供の中に抛り込まれて、子も感化されて泣き始めたという。
 中途半端な1時間をぶらぶらとつぶして迎えに行くと、子はすっかりなじんでいたという。そりゃそうだ。預けられることでめんどうを起こしたことのないエキスパートだ。同期で子より生まれ月が早いのは、5カ月上の女の子がいるだけだそうだが、保母さんによれば、「人形の貸し借りをして楽しそうに遊んでおりました」とのことだが、奥さんは、きっと吾子がその女の子の人形を取り上げてばかりいたのだろう、とにらんでいる。私もそうかもしれないと思う。
 久しぶりの、外泊しての帰宅。しかし、今までも外泊していなくても、子の寝ているあいだに出勤、帰宅したときにはすでに子は寝ている、という体験は普通にあるので、吾子的には父の不在に気付かなくても不思議ではない。自宅のドアを開けると、つったっている子といきなり目が合った。子は、一瞬間を置いて、キャーといって興奮し始めた。「とうたん」という言葉をつぶやいた気がすると妻も言っていた。ただし、この興奮は、保育園帰宅以来で、今まで沈んでいた子が父を見て元気を取り戻したというわけではない。そうだとわかっていても嬉しいものである。
 食事を済ませた子が、食事中の私のところに寄ってくる。グラスからウーロン茶を飲ませてやる。ご飯を欲しそうにしたので、箸で何度か口にはこんでやる。よく食べるなあ、食後のくせに。こうした一挙一動が、幸せを感じさせてくれる。
 子は、9時頃就眠。実はそれと同時に不覚にも私も寝てしまい。朝6時まで滾々と寝てしまったのだった。

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2001/4/2(月) →題名目次
払暁出勤久しぶり 生後542日(1歳5カ月25日)

 久しぶりに5時20分にうちを出たが、さすがにまだ暗いのであった。かろうじて妻は起きてきたが、子は熟睡。はたして快癒しているだろうか、心配だ。今日は入園式というハードスケジュールなのに。
 大宮の新幹線ホームで。「まもなく発車します」のアナウンスがあった「やまびこ号」のデッキの中は老母、ホームにはその息子とおぼしき青年。ふたりしておろおろしているふうだが、発車ベルの乱打する中、青年は老母の手を引いてゆっくりと「こまち号」へ導き始めた。察するに、秋田行きの「こまち号」は、盛岡行きの「やまびこ号」に連結されていて、間に連絡通路がない! このままでは老母は秋田に行けず、盛岡に拉致されてしまう! そう思っての行動だろう。思わず手に汗。乗り遅れるなよ! 車掌さん待ってやれ! 私の同僚のM氏は、上越新幹線に乗って高崎に行くつもりが、東北新幹線に乗ってしまって小山に行って遅刻してしまったのだ。
 ・・・・無事乗車。ほっとして、時刻表を改める。あのまま「やまびこ号」に乗っていたら果たして「こまち号」に乗り換えられるか。・・・・地理に疎いというのは悲しいことだ。盛岡で乗り換えればすむ話だった。無駄に手に汗握ったよ。「運動音痴」を「運痴」というのに倣うと、地理音痴は、「地痴(ちち)」とでもいうのかな。
 終業後に前の夏に結婚式に招待してくださったY氏と地元在住Y氏の両同僚に飲みに誘われるが、子の心配とここのところ飲んでいない自分のメートルの挙がり具合の心配から、辞去させていただいた。後ろ髪引かれ、残念さで一杯である。
 朝始業前に自宅に電話してみる。吾子とかわってもらったが、残念ながらまだ寝ぼけ状態で、そろそろ電話に出てなんかいうのではないかという期待ははずれてしまった。昼すぎにも自宅に電話してみる。吾子は寝入りばなだそうだ。いまだ詳しく聞いていないが、入園式には、あるいは保育園には奥さん不満たらたらの模様だ。
 ふらと街に出る。商店の並ぶ細く車通りの多い道に車が止まり、そこから「ゴミ、ゴミ捨てるの」といって若いお嬢さんが降りてきて、走って道を渡ってコンビニのゴミ箱にゴミを捨ててそのまま車に走って向かった。ちょうどパトカーが来て、「あ、パトカー」といいながら車に乗り込んでいった。わざわざゴミをゴミ箱に捨てるために車を止めてもらったようだ。

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2001/4/1(日) →題名目次
アベック・ドライブ 生後541日(1歳5カ月24日)

 今朝の出勤時に、ほんとうに眠そうな顔で、前のめりに座って顔だけ挙げて私を見つめていた。思わずチュー。私が離れると、再び寝てしまった。いってきます。
 昼過ぎには帰宅。ちょうど昼寝に入ろうとしていたところだったが、そのまま目覚めてしまった。私の昼食後に一緒に昼寝。
 明日は子の入園式。数日後からしばらく私が送り迎えするので、チャイルドシートを車に取り付けた。なにせ2シーターの車なので、親子3人で乗るのは不可能に近い。チャイルドシートを着けると、私と子しか乗れない。いままでに、こっそりと駅までの短い距離を2回だけ、子を抱いたままの妻を乗せたことがあるだけだ。これはやはり違法なのだろう。
 というのも、子が産まれる前、妻と夜間ドライブしていた時に、山道で小柄なグレー型宇宙人を拾ったことがある。なんでもUFOが故障したとかで、街中の連絡所まで乗せて欲しいとテレパシーで伝えてきた。妻が抱いて助手席に乗せたのだが、途中検問があり、ベビーシートを着けていない件で切符を切られてしまった。子供ではなく成人の宇宙人だと警官に主張しても、「じゃあ乗車人数オーバーで切符を切るか?」と脅されて、しぶしぶに子供ということにしておいてもらったのだ。宇宙友好に務める私の努力も法の前では形無しだ。
 まあエイプリルフールめいた話はこれくらいにして、装着したばかりのチャイルドシートに吾子を乗せて、保育園まで往復シミュレーションをしてみた。実は、初めて子の行く予定の保育園を視察するのだ。あてずっぽで出かけたが、意外に簡単に到着。ただし、狭い路地の先の住宅街にある保育園なので、前に車を止めて置けない。少々大変でも、車を使わない方が現実的であろうか。
 車の中で子ははしゃぐでもなくぐずるでもなく淡々と景色を見つめていた。どうやら初めてのアベック・ドライブは成功のようだ。
 今日は晴れているが、完璧に風邪が治ったわけでもなさそうなので、駐車場から家までの間を数分ぶらぶらさせただけで帰宅。今日は2日ぶりに入浴。明日の入園式のためのおめかしだ。明日はばあちゃんも来てくれるよ。今日は、バイバイの時に、バイバイとつぶやいていた。妻によれば初めてのことであるそうだ。明日の出勤はいつにまして早いので、明日は子の顔を拝めないだろう。父ちゃんつらいよ。

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2001/3/31(土) →題名目次
風邪で苦しむ吾子 生後540日(1歳5カ月23日)

 昨夜も、11時くらいから苦しそうにうめいている。今度は原因がはっきりわかった。鼻がつまっているのだ。
 妻がベポラップを子の胸に塗ったが、全然効かない。苦しそうでかわいそうだ。ふと妻が思いついて、「北見ハッカ水」というのを子の鼻下に塗ってみると、効果覿面。それでも効き目は永続的でなく、ひと晩中、1時間置きにうめいていたという。
 朝は、疲れ切った母子を置いて出かけようとしたら、妻にみつかってしまった。寝てればいいんだよ。
 午後、一度電話して様子を訊ねると、病人らしくはあるが、元気とのこと。安心。
 夕刻に帰宅すると、子だけが元気に迎えてくれた。何事か? また妻を怒らせたか? さにあらず、今度は妻が頭痛でへたばっていた。結婚以来、ほぼ初めて店屋物を誂える。
 子は、体がやや熱いのを除いて元気である。妻はいつもほどではないというが。今日は、「ハーイ」を覚えた。「吾子、ハーイ!」といって私が片手を挙げて話しかけると、子も、片手を挙げる。これは前々から仕込もうと試みていたのだが、やっと成功。ただし、なんだか投げやりに、こちらを振り向かずに手を挙げたりする。まあよいとしよう。
 昨日に続いて今日も風呂はパスさせた。子の人生で初めての経験である、2日入浴しないのは。
 昨日と同じ11時になった。いまのところ安眠している。どうか早く健康になりますように。
 あ、なお、今日は三月末日だというのに、雪が長らく降っていたのだった。しかし、四谷あたりの桜は、雪をものともせず、散らずに咲いていた。

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2001/3/30(金) →題名目次
帰りはどつぼ 生後539日(1歳5カ月22日)

 帰りの東海道線には、季節の変わり目に影響を受けなさった女性がいてたいそうこわかった。2つの車両の間を行き来し、継ぎ目にあるドアを、渾身の力を込めて、何十回も、どしん、ばたんと閉めるのだ。反対の車両にいたので気付かなかったのだが、閉口した子供連れのお母さんが逃げ出して行った。横浜から品川まで、生きた心地がしなかった。その害吉女性も品川で降りてエスカレータに向かったが、そこでは奇行を行わなかったのが正直言って拍子抜け(不謹慎!)だが、いきなり普通の人にとけ込んだのを見て、日常の中に潜む狂気の存在におそれを感じたのであった。
 地元の駅に着く。バスは目の前で行ってしまった。しかたなく歩いて帰る。聞かされたのは、子が風邪を引いた、ということ。手回し良く、医者に連れて行って、単なる鼻風邪と診断されているそうなので、安心。昨晩の異様な寝方は、風邪のせいだったのか。そういえばいつものキーキー騒ぐ元気もない。ただ、青パナを垂らしながらも、終始にこやかなので、心配には及ぶまい。医者に「安静に」と言われたそうなので、私も遊び相手としては控えめに。
 早く寝かせよう、などといっている側から、税理士にどちらが電話するか、という小問題で我々両親は口論を始め、子は間に立って泣きながら関心を引こうとけなげであった。大問題であればあるほど折れるしかない私も、ささいな問題だけに後には引けない。妻が折れてくれて辛い勝利を得たが、子の涙は苦い代償と言わざるを得ない。まさに、試合に勝ってドーピングで捕まった、である。
 食事を終えた子は、薬の力か、早くも8時には寝てしまった。今日は風呂はパス。明日は元気になってくれよぉ。口論や早く寝てしまったこともあり、今日は子と睦む時間が短かった。残念。自ら猛省。

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2001/3/30(金) →題名目次
母は強し 生後539日(1歳5カ月22日)

 昨晩は、12時ごろから泣くようになり、ジュースやミルクをやっても泣き止まない、というか飲まない。奥さんが抱いてあやして泣き止んだのだが、眠りが異様に浅くて、奥さんか私が添い寝していないと目を覚ます。
 どんなに、そっと子の脇を離れても、しばらくすると泣き声が挙がり、見ると座って泣いている。添い寝するとすぐに目をつぶって横たわるのだが、ふと、目を開いて父親の所在を確かめている。数回、「いないいないばあ」をした。奥さんが寝る準備をして、横に就いた。
 私も眠り、いまだ深い睡眠に入らないうちに、子の激しい泣き声が聞こえる。数分経っても奥さんが起きてめんどうをみる気配がない。行ってみると、子が座って泣いている。奥さんはぴくりとも動かない。とりあえず子をあやしてみる。またも、ジュースやミルクをやっても泣き止まない、というか飲まない。奥さんが動かないのが心配になり、子をあやしながら寝息をうかがうと、ちゃんと呼吸をしているので安心した。
 やっと妻が覚醒したようだ。目をつむったまま、「ごめん」と言って子を抱き取る。すると、いままでの泣き方が嘘だったかのように子はすやすや寝始めた。母は強し。
 そんな夜泣きをしても、朝は8時に起きてきた。今日も9時頃出勤。

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