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吾子の成長記(ako048.html)

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2002/3/2(土) →題名目次
焼け付く喉の痛み 生後876日(2歳4カ月22日)

 日記を書いた後、眠りに落ちるが、これはもう激しい寝汗が続いた。その間、悪夢を見る。吾子も出てくる不吉な夢で、タイムパラドクス、パラレルワールド、悪神の呪い、親子の愛の絡んだ設定は大スペクタクルでも筋は単純な夢だが、他人の夢の話って、聞いても絶対おもしろくないものだから省略。そんな夢から目覚めたころ、外で、
  「パーパ」
とひと声。病臥してから、子の帰宅を迎えに出たことがない。寝ていて、気が付くといつのまにか帰っていたり、玄関辺りで、
  「パパいないねー」
という落胆の声が聞こえたり、そのせいか子も諦め気味で、ひと声で止めた。しかし、夢の後である、私は寝汗でびっしょりの体のまま、脱兎のごとく子を迎えに下り、抱き上げて無事な吾子の暖かみを感じるのであった。

 昨未明、トイレに立った。タバコを一服付ける。
   ファイアー!
扁桃腺炎にタバコである。当然のむくいだ。喉の焼け付く痛みにしばらく眠れなかった。

 今日になって思い出した。
  「それではイソジン出して起きます。しばしばうがいしてくださいね」
そうだ、うがいしなきゃ。名医に対しては、こちらは模範的な患者にならねばならない。信じる信じると口先だけでいうだけではいかん。行動で示さねば。プロの指示は確実に守る。ちゃんとした患者いてこその名医だと思うがどうだろう。象牙の塔に籠もって患者に接することなく基礎医学の理論を研究している名医、というのは存在しないと思うがどうだろう。名医あっての名患者、名患者あっての名医。オレたちが先生を名医にしてやってるんだ、だから早く治ってやらなきゃ、というくらいの自負が必要ではないか・・・・どうやらまだ熱で頭がおかしいようだ。
 話を戻して。そこで前の日記を書いた後、おにぎりを食べてからイソジンでうがい。茶色いはずの液体が真っ黒だー。いっしゅんびびった。よく見ると、紫色である。そうか、イソジンは、ヨウ素液だったのだ。ご飯のデンプンを紫色にしたのか。よく噛んで食べていないからデンプンが分解されなかったんだな。

 よく噛んで食べていない。・・・・実は、食い物がろくに喉を通らない。昨晩出されたチンジャオロース(だと思う)は、喉への拷問、まずものを食べ残すことのない私も、これには降参。代わりに納豆ご飯にしたが、カラシ入れすぎたか。
 そこで、今晩のおかずは冷や奴1丁。これもショウガを入れすぎかけた。喉の痛みで、今日は声も出ない声もでない。通常の、人前に出る業務がない期間にこうなって好運であったと心から思う。私の横では子がご飯を食べている。時折、妻に絵を要求している。
  「あぺ、かぇて。あぺ」
 「あぺ」とは吾子用語で、「亀」のこと。「亀、描いて」と言っているのだが、妻には通じないようだ。
  「あぺ、ってなあに?」
「亀のことだよ」と言おうにも声にならない。子が、
  「かめ、かぇて」
と言い直す。お前、ちゃんと言えるじゃないか!

 最後に。イソジンのおかげでタバコが吸えている。まず、イソジンでうがいして、一服。喉が焼け付くからまたうがい。
 え? それじゃ意味ないって? 一回うがいの方が多いから、差し引き体にいいはずです。

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2002/3/2(土) →題名目次
北風と太陽 生後876日(2歳4カ月22日)

 なかなか入れない眠りの国には、寝汗とともに入国許可が出た。寝汗が快いと感じるなんて思ったこともなかった。
 朝は誰がどういう順序で起きたのだろう、少なくとも私は、寝汗の私の脇に子が来て、
  「指ないねー」
で起こされた。私が病臥している間も、毎朝、子は、私の装身3点セット、メガネ・時計・指輪を枕元に持ってきてくれるのだが、今朝は指輪が見あたらないと報告しているのだ。それももっともで、メガネと時計は枕元に置いて寝たが、指輪だけは別の場所に置いてあるのだ。

  「ご飯食べるの見ててくれる?・・・・だめ?」
この言い方は依頼ではなく命令である。その証拠に、否定の返事をすると、そのたびに形は異なるが、不満を露骨に表現するのだ。
 体調もさほど悪くない、子と一緒にいたい、無用な騒擾を起こしたくもない、今回の件に否やはない。子を、食卓椅子に座らせて、おにぎりを食べるのを眺めていた。
  「口に持っていって食べさせたら食べるから!」
妻が口を差し挟んでくる。子は、ひと口かじったあと、お絵かきに没頭して、おにぎりに手をつけないでいた。私は、扁桃腺のせいで声が出ない。心の声で答える。
----いいじゃないか、どうせ送って行くのは僕だし、慌てて食べさせなくても。
 それでも妻の視線が痛いので、形だけでも動かなければ。
  「吾子が食べないならパパがもらうよ。いただきまーす」
  「吾子のっ! パクッ
北風太陽。へへ、うまくいったぜ。
 その「太陽政策」も2度繰り返したところで、
  「いやない!(いらない)」
と拒絶されて止まった。味噌汁すべて(具を除く)とおにぎり半分。ふっ、太陽北風の軍門に下るのか。おそるおそる奥様におうかがいをたてる。・・・・すると、もう充分だという。太陽は勝利したのだ!
 その後、ヨーグルトをおかわりまでして、自力で食べた。もうなんでも自分で食べられそうだねえ。口元を真っ白にして食べている姿は、本当に子供らしくて見ていて気持ちよい。胸元も真っ白だが。

 妻はいつのまにやら出かけていた。こっそり出かけるさまは、まるで繁忙期の私のようだ。時間に余裕があるので、子の体調次第では、保育園まで徒歩遠足でもしようか、と思ったりもしたのだが、熱が36.9℃なのでやめていつもどおりに車で登園。
 例によって道草食いまくりの吾子に、
  「ねえ、今日は誰もいないからあっぷん見ようか」
と言って、歩みを速めさせる作戦は成功だった。土曜日は、1階に誰もおらず、金魚(あっぷん)の水槽を眺められるのだ(いまだ果たせず)。足取り軽く園に近づくと、工事でもしているような大音響。園内には、土曜日にも関わらず、保母さんたちがわらわら。そうか、明日の準備をしているのだ。ご苦労様。
 というわけで、子を裏切る結果となってしまった。1階に侵入できません。パパ、嘘突いたわけじゃないよ。ごめんね。君に嘘は突きたくない。いつまでも胸を張って「パパが嘘を突いたことがあるかい?」と言いたいから。

 帰宅して病床に戻るが、精神状態が昨日までとは違う。でも、
  恒産なきものは恒心なし。
  小人閑居して不善を為す。
である。心して生活しよう。

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2002/3/1(金) →題名目次
子と睦み合うとき 生後875日(2歳4カ月21日)

 病弱な父親にとって、幼児と戯れることは、時に我が生命を削ってのわざになりかねない。
 幼い頃に住んでいた町並み、小さな頃のアルバムをひもといたときの気持ちである、現在の病気が幼時の持病、扁桃腺によるものだと知れた今は。すると、「たかが知れた病気」である。昔取った杵柄、無理しなきゃなおるだろう。そう思うと、子とむしょうに遊びたくなった。うつすことも心配していたが、もはやその心配はない。
 それにしても、急に喉が痛く感じられ、食欲はあるのだが、食物が喉を通らなくなった。こんなとき、「桃の缶詰」が最大のご馳走だったなあ。病児の特権、と言って良い食い物。今、コンビニなどで売っているのだろうか。

 子の、元気いっぱいに激しく遊びたい欲求と、なるべくなら寝転がったままで相手したい私の要求がマッチした遊びを発明した。
 私が、「ワニ」になるのだ。
 両手をワニの口にして私は素知らぬ顔で横たわっている。子が近づいてくると、かぷ!と言って、子の足なり頭なり咬み付くのだ。転げ回って逃げ回る子。ワニの口の届かない所まで逃げてしばらくすると、再び、そろりそろりと近づいてくる。そこでまた、かぷ!である。・・・・スリルを感じたくて不用意に危険なところに近づくと、ワニに食べられちゃうぞ。将来がちょっと心配である。

 クマのプーさんシリーズのおむつ。保育園でのAっくんのマークがプーさんらしく、プーさんを見て、
  「Aっくん」
と言う。うちではAっくんのことしか言わないんだからもう。そういや、Aっくんはワニみたいなやつだなあ。Tカくんにならった、ハイタッチを教え込んだが、ついぞ彼の名前は出てこない。
 プーさんおむつのテープを何枚かはがして、私が動物絵本に見入っているすきに、どこかへ持っていったが、所在に気付いた時には笑いが止まらなかった。戸の真ん中に、テープで貼り付けられたおむつが宙ぶらりんだったのだ。
 妻は、早く寝かせる予定だ、としばらく前に言っていたが、なんかいつもと同じか、むしろ遅いくらいに寝室に入った気がするが、嫌みでもなんでもなくて、不思議であるよ。

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2002/3/1(金) →題名目次
ミッション・インポシブル 生後875日(2歳4カ月21日)

 実は、デッドラインを迎えていた仕事は、最後の集中で仕上げをかける段階まで来ていたのだ。そのために、集中できる数時間が必要だったのだ。それがないと、千里の功を一簣に欠くことになる。だから、万全の体調となる一瞬を待っていたのだ。・・・・ちょっとカッコつけすぎたかナ。
 もはや背に腹は替えられぬ。万全でなくても集中するしかない。
    くわっ!
3時間の集中ののちには、腰がガクガクになった私がいた。
 仕事は、入稿して初めて完了と言える。ほんとはいけないのだろうが、ふらふらしながら車に乗る。でも、頭をクリアにするために、今朝から薬は断ってある。帰りに、カップラーメンを食いながら渋滞の道を運転しているトラック運転手がいた。
 担当者に手渡す。普段無愛想な担当者がニコッと笑う。・・・・信用されていなかったのネ。
    祝・本年度の仕事完了

 帰宅すると妻がいた。
 朝は大嵐、夕は夕凪、なあんだ?
 朝、あれほど強く「あんただけでも病院へ行きなさい」と言っていた妻は、
  「吾子は私が病院に連れて行くから、あなたは休んでいてください。私が前にもらった薬があなたのと同じだから」
と言う。私ゃ、子を迎えに行ってついでに父子受診を覚悟していたのになんたる展開。

 お言葉に甘えて横になるのだが、眠れなくて苦しい。そうしているところに母子が帰ってきた。
  「吾子もちょっとひどくなったみたい。あなたの症状を先生に話したら、なるべく早くよこしなさいとおしゃってたわよ」
なんだ、結局、通院するわけだ。妻は、インフルエンザかもしれない、と言う。まさか、名医が誤診なんて。
 先生に症状を逐一話す。私の喉をごらんになったところで、
  「あーあー、わかった!」
急性扁桃腺とかなんとか。私の幼時の持病である。まあまあ久しぶりですこと。せっかく仕事完了したのに、祝杯は禁じられた。
 先生は、妻から症状を聞いて、インフルエンザかもしれない、と思ったから来てもらった、とのこと。もしインフルエンザだったら、前回の診断は誤診だったことになるのかというと、そんなことはないのである。前回の病状では「風邪」と判断する材料しかなかったのだろうし、大切なのは、間違っていたらすぐに訂正することができることである。ますます先生を信頼する気持ちが増すのであった。人を信じるとはそういうことだ。

 病院から帰ると、チョコエッグのおまけの組み立てが待っていた。おい、いったい何個食えば気が済むんだ。
 子が、おまけを包む袋を切るのに、ハサミを使いたがるので、厳重にしつけて使わせてみた。
  1)パパの監視下でなければ使ってはならない。
  2)目の方に刃先を向けない。
  3)添える方の片手は、パパの手の上に添える。
  4)一枚切るごとに、ハサミをパパの目の前に戻す。
まあ、子の力でビニール袋が切れるわけもないのだが、だんだんと力の入れ方が上手になるのを感じた。そして、よく決まりを守ること。使ったらそのたびごとに私の目の前にきちんと戻すのだ。これには感心した。1、2度は、ちゃんとビニール袋に切れ目を入れることができた。

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2002/3/1(金) →題名目次
吾子・炎の特訓 生後875日(2歳4カ月21日)

 体調不良のまま待ったなしの最終締め切り日を迎えてしまった。養生なって、病後の絶好調の態勢で挑むべく、丸2日間、隠忍自重していたのだが、目論見は外れてしまった。今朝も重い頭を抱えながら、妻の朝ギャーをやり過ごす。今日はもっぱら子に向けられていて、私は子に守られているなあ、という感じ。
 昨晩、もう激しい悪寒サイクルは来ないだろうなあ、という気がして、入浴しようと思っていたら、ちょっとぞくぞくと来そうな予感。それ、今の内、と風呂に入って、早めに横になったが、全然眠れない。激しい悪寒サイクルに入ったようだ。1日3回と決められている薬の5回目を服用することで、激しい寝汗サイクルに入り、朝までその調子で眠ることができた。この様子だと、今日も夜になって激しい悪寒サイクルが来そうだから、それまでの勝負である。まるでマラリアみたいだなあ。ほれ、光源氏も罹った、瘧おこり病というヤツ。

 昨日撮った子のビデオを、パソコンの画面で見られるようにした。子に見せると、最初は驚いたようで、
  「吾子! 吾子!」
といって、自分が「出演」していると認識し、気に入ったらしく、
  「おっかい! おっかい!」
と人差し指を立てて要求すること、十数度であった。そのうち何度かは、音楽に合わせて演技を披露してくれた。そう、それがパパの思惑さ。現時点でさえ、やはり吾子が一番ちゃんと演じているが(Aっくんは椅子に座ったまま微動だにしない)、イメージトレーニングとシミュレーションにより、いっそうの技術の研鑽をしてもらおうと、パソコンで見られるようにしたのである。

 昨朝、私が朦朧としながら、子が起きてきたのを感じたが、子は、過たず、暖房のスイッチをオンにした。暖房のスイッチをオンにするとき、だいたい子はまだ寝室にいるはずで、いったいいつ見覚えたのだろう。
 今朝は、私のシャツのボタンを外し、付け直してくれた。じっくり時間をかけてだが、ちゃんとボタンを嵌めてくれたのだ。男性用のボタン(右前)に対して、女性用のボタン(左前)は、侍女が正面から付ける前提の位置であるというから、男性用のボタン(右前)を正面から留めるというのは並大抵の難しさではあるまい。ただ、付けてくれたのは1つだけで、残りは外されてしまったが。
 ちなみに、「左前」というのは、左が本人の手前に来ていて右が人から見える位置に来ている状態を言うのはいうまでもない。かつて、古い絵とか埴輪とかを見ていると、「左前」のものが非常に多い。してみると、「右前が日本の伝統」というのも怪しくなる、というか、「伝統」と銘打った時点で、ほとんどの事実は恣意的な抽象化によって具体性を捨象した眉唾になると私は思うのだが。

 昨夜、子が夜泣きしたとき、先日と同じように寝汗を掻いていたそうだ。
 妻が、子供は帰りに自分が病院に連れて行くから、あなたは独りで病院に行け、という。同時に、子供を保育園まであなたが送って行け、という。矛盾してはいないが、効率的とはいえないような気が。よって、保育園に送る途中で病院に寄って、子も私も診てもらう、ということにした。
 車に乗ると、使い捨てライターの使い切ったヤツ(捨てようと思いながらそのままにしておいたら、子の、車中の友になってしまい、捨てるに捨てられなくなってしまった)を子が手に取る。
  みずー、みずー
」?----記憶が蘇る。昨日、保育園に着いて車から降りるときに、子が、水色のライターを手に取り、
  「ハイ、パパ」
と手渡してくれたのだった。つまり、今、
 水色のライターどこ?」
と言っているのだ。何色と何色とがあったか覚えていることも、水色を認識することにも驚いた。水色のライターは、昨日入れたとおりのまま私のポケットから見つかった。

 休診日翌日である。開院同時に行っても混んでいるだけであろう、と時間をずらしてみたが、無意味だった。病院の外まで患者が溢れている状態である。即、方向転換。保育園へGO! そもそも帰りに妻が連れて行くつもりだと言っていたから緊急ではあるまい、というのがそのときの判断だが、今になって考えると、先日と同じ症状だったら、保育園を休ませるべきだったわけだから、この判断が正しかったかどうかはわからない。朝、出かけたがらなかったし。妻に連れて行って貰うようお願いするしかない。

 保育園の階段に掲示してあるものが変わっていた。季節柄、お雛様の絵、というか、シールを貼る福笑いみたいなもの。いっそう個性に乏しいはずだが、
  「吾子!」
と正確に自分の絵を指摘。その隣を指して、
  「しょーちゃん」
これも当たっている。
  「Aっくんのは?」
これはわからなかったようだ。逆に言うと、でたらめとかあてずっぽではないということ。

 2階に上がると、吾子を先日どついたTカくんがこちらに向かってくる。ブープ、ブープ、危険レベル5発令!繰り返す、デフコン5!私の中で警報が鳴り響く。キケン! キケン!Tカくんは、子を素通りして、私の所にやってきて、
  「バイバイ!」
と言って、ハイタッチ(Tカくんの手と私の手を併せる)をしてきた。先日のことさえなければ、人なつこい良い子なのだなあ。
 他人の子とハイタッチしておいて、自分の子としない法はなかろう。子に、私からハイタッチを求めたが、初物を取られて合理化したのか、そもそも興味がないのか、いつもの素知らぬ顔でバイバイされてパパは悲しかったよ。

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2002/2/28(木) →題名目次
峠 生後874日(2歳4カ月20日)

 子と同じ病気だろうか。昨日午前11時半ごろに床を取って以来、今朝の9時15分まで寝続けであった。
 激しい悪寒激しい寝汗のサイクルの繰り返しで、激しい悪寒サイクルでは、体を折り曲げて小さくなっていないと耐えられない。激しい寝汗のサイクルでは、逆に体をまっすぐに伸ばせる。激しい悪寒の間に布団から出ようものなら、体はブルブル震え、歯の根も合わずガチガチ言っている
 子が帰ってくるまでは、妻もそっとしておいてくれこそすれ、子が帰ってからは、私がサボタージュでもしていると思っていたのだろう、私に投げかける冷酷な言葉に対しては殺意を感じるくらいだった。行動に出たら瞬殺で返り討ち必定だろうけれど。激しい悪寒サイクルを見てようやく理解したようだが。
 子の方がむしろ理解あって、父ちゃんに無理させまい、でも父ちゃんの近くにいたい、という気持ちが見えた。
  「パパ、はっち」
  「ごめんね・・・・パパ動けないんだ・・・・」
そういうともう、寝たきりで相手させてくれた。まあほとんど接することもできなかったが。
 夕方から夜の早い内が峠だったのだと思う。そのころは、激しい悪寒サイクルが長く続き、折り曲げた体の関節がぎしぎし痛むくらいだった。深夜から明け方にかけては、激しい寝汗サイクルが長く続くようになり、暑いには暑いが、体を伸ばせて眠れるのに安堵した。
 9時15分に自動車保険の関係で起こされる。10時から、子の、お遊戯会の予行演習だ。実は、何をおいてもこれだけは出るつもりだった。本来なら余裕を持って子を送り届け、10時にばあちゃんと現地で待ち合わせる予定。体調は不全でも、午前中くらいなんとかなる。妻は、おそらく子が8時半に起こすまで寝ていたようで、妻に任せていたのでは間に合わない。
 実際、車を飛ばしてもぎりぎりだった。ばあちゃんを心配させないように努めて元気に振る舞うが、実はふらふら。
 お遊戯会の予行演習が10時10分ころから始まる。ああ、子が出てきた。椅子に座ってお遊戯している。みんなより上手に見えるのは親のひいき目かも知れないが、実はビデオのファインダーから見ているので、他の子はよく見えないし、ファインダーからは肉眼で見るよりよく見られていないものだ。
 まだ出番があるのかなー、としばらく他の学年の演技を見ていたが、この5分だけで出番は終わりだそうである。
 気の毒なのはばあちゃんだ。小雨の中、子の登園を待ち続け、ぎりぎりで来たので、目で話すだけで手を取ることもできなかった。子へのプレゼントも手渡すことができなかった。子が水疱瘡にならなければ、ばあちゃん家を訪問する予定だったのに、それも流れてしまった。近いうちに行きますよー。父ちゃんが快復したら。そのためにまた寝ます。昨日という一日は存在しなかったような気分です。

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2002/2/27(水) →題名目次
重態 生後873日(2歳4カ月19日)

 子が妻を起こしているようだ。何時だろう。私は、自分の体が動かせないのに気付いた。喉が激しく痛み、関節もずきずき、熱っぽくて頭が重い。重態。
 起きてきた子が構って貰いたがるが、どうにも何も出来ない。
  「ごめんね、パパ、苦しくて何も出来ない・・・・」
そういうのがやっとだ。子は、消えかけた「あっちゃん」を私に差し出す。描き直してくれ、といっている。
  「あとで必ず描くから。今はパパ、体が動かない・・・・」
子は、無言で
  「うん・・・・」
とうなづくが、顔はくしゃくしゃになりそうだ。どうも、わかってくれたようでわかってないらしい。やむをえず、立ち上がり、あっちゃんを描き直して横たわる。

 子は、相変わらずまとわりついてくる。「ごめんね、ごめんね」と心の中で言うしかない。遠くから妻が、
  「TV点けてあげて」
というが、それができる気力もない。そう思っていたら、急にTVが点いた。子が点けたのだった。
 今度はディズニーフィギュアの「カニ」をバラバラにして組み立てさせようとする。さっき1度組み立てたのにまただ。組み立て始めた私を無視して、TVを見ている。さすがの私も、
  「パパがお前の頼みで組み立てているんだからちゃんと見てなさい!」
子は、「ひっ!」とした顔をしたが、その後はおとなしくなった。

 隣室に追い立てられて横になる。妻が食事を与えたりしているのだろうが、
  「何やってるのよもー」
  「よそ見しないで!」
  「何でこんなにちらかすのよ!」
ドン!と重い雑誌でもほうりなげる音が時に聞こえるから最後のは私への呪詛だろう。妻の怒声は、私は平気じゃないのに、よく子は平気でいられるものだ。声や物音がするたびに浅い眠りを妨げられるので、時間の経過が分からない。

 どうやら起きてから2時間くらい経ったようだ。それまで寝かせてもらったわけだが、病院に行くついでということで、子を車に乗せて保育園に行く。ふらふらしていて車を運転できる自信はなかったが、なんとかやり遂げた。3日連続の通院だが、症状は重いが、心配したインフルエンザではないようだ。インフルエンザなら、48時間以内に服用すれば軽くなるという特効薬があるそうだが、普通の風邪なので対症療法しかない。
 車の保険の切り替えや、期限を区切られてしまった原稿仕事をこなす予定だったのにこの分では不可能だろう。たいそう途方に暮れている。

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2002/2/26(火) →題名目次
江戸の仇を長崎で自爆 生後872日(2歳4カ月18日)

 在宅待機の仕事、子を病院に連れて行ってから登園、書きものひとつ、自身の健康診断、外での仕事・・・・獅子奮迅の働きをして力つきたようだ。体調が頗る思わしくない。

 夜になって這々の体で帰宅すると、子の周りを見慣れぬ玩具が取り囲んでいる。ひとつは、ベネッセ「こどもチャレンジ」の付録の、スポンジのブロック。もうひとつは、ピカチューのぬいぐるみと同系統(マクドナルド販売)のゾウのぬいぐるみ。
 子は、そのゾウのぬいぐるみを持って私のところにやってきた。水色のゾウの尻、しっぽの下に、白いものがはみだしていて、それを子が引っ張り出そうとしている。中身の綿か何かだろう。
  「引っ張ったら中身がでちゃうよ」
だが、その白いものは、引っ張ると紐が伸びて、その紐を離すとゾウの尻が
  ブブブブブ・・・・
と振動する仕組みなのだ。重くて子には引けないから、私に「ひっぱってー」と持ってきたのだ。
  ブブブブブ・・・・
  「あー、パオがおならしている。うんち出てるんだね」
うんち」といえば、保育園からのお便り。

給食の後「う゛ーんう゛ーん」とうなっているので「うんちする?」と聞くと便器に座って大きなうんちがでました。午睡時、「うんちんでたねー」、「ぎゅーってでてねー」といい「パパ、パパ」といっていました。「パパにもはなしたいの?」と言うと「うん」とうなずいていました。

 そうかー、うんちを申告できるようになったのかー、と感心していたら、寝る前に、直立したまま静かになっている。どうやら自宅での申告はまだ無理みたいだ。

 妻が迎えに行ったとき、玄関の混乱の中で、吾子とTもくんがごっつんこしたそうだ。Tもくんは泣きかけ、吾子も、
  「いてててて」
と痛そうにしていたら、保母さんが吾子にだけ、
  「吾子ちゃん大丈夫? どこが痛いの?」
と慰めに来たそうだ。一方のTもくんはほったらかし。今朝、子をどつきおった(「アンパーンチ」かもしれない)Tカちゃんに復讐をしたのか、と快哉を叫んだが、TもくんとTカちゃんを勘違いしていた。まこと、身を挺して「江戸の仇を長崎で討」ちそこなったわい。
 なお、その場に妻がいたから吾子が優先されたのかと思ったら、Tもくんの母親もいたそうで、妻はいたたまれなかったという。

 食後から寝る前にかけて、子が、
  「パパ、はっち」
と、隣室に私を連れ込んで激しい遊びをしようと企てているようだが、本当に体調が悪い。そこで、今日届いたスポンジ積み木で、家だのワニだの橋だのキリン(キリンのことを「ちっち」と呼ばなくなって残念)だの組み立てて子の気を引いた。体と引き替えなので必死に遊んだ。動かなくて済んだ。ふーーー。妻も、入浴中後を除いては、援けてくれた。
 子は、ちょっと熱っぽいので入浴中止。寝る直前は、眠いのか、ひとりで絵本に見入って静かにしていた。なにやら不憫なので近寄って見ると、絵本を広げて何やら私に説明してくれる(さっぱりわからん)。こういう吾子もかわいい。どんな吾子もかわいいが。
 外での仕事はしばらくないので、あとひとつ、原稿を仕上げれば倒れることができる。しかし、そのあとひとつが難関なのだ。きっとその後も原稿仕事が雨だれ式に入るだろうが。

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2002/2/26(火) →題名目次
吾子をいじめる悪いガキ 生後872日(2歳4カ月18日)

 7時半に起きてきた。私の手からイチゴを食う。なんだかあんまり元気にも見えないし機嫌も良くなさそうだ。大粒のイチゴを見て、
  「ちっちゃい」
と言う。切って小さくせよと言っておる。ビデオにアニメのコオロギが出てきた。コオロギのまねをして、
  「びよん、びよん」
とウサギ跳びめいた動作をするころには機嫌はよくなっていた。

 食前は36.2℃ほどしたなかった体温が、食後は37.3℃ほどになっている。妻との間で保育園を休ませるかどうか意見が分かれたが、妻に圧されて妥協案、プロの判断を恃むということで、急遽、病院に連れて行くことになった。
 出たのが遅かったので、だいぶ待つはめになったが、週明けの昨日ほど混雑していない。昨日からの様子、妻との意見の相違を述べたところ、
  「ん! 大丈夫でしょう。保育園から連れ戻されることになる可能性は高いですが、それでもお子さんのストレス発散のためには、保育園に行かれてよいでしょう」
微妙な言い回しは混じっているが、お立場を考えても明晰なご指示だ。私の不安を、パアッと一掃してくださった。今に至るまで、保育園から呼び出しは掛かっていない。

 取り急ぎ、子を保育園に連れて行く。道草を食わせないために、ほとんど抱きかかえたまま。時間的余裕がないのだ。
 2階まで連れて行く。今日は身体測定らしく、全裸の幼児の姿も見える。戸を開けると、Tカちゃんが、
  あー、吾子ちゃんだー
と突進してきて(こいつ声が弱々しいのだ)、拳で子の胸を突いたのだ!よろける吾子。
くわっ!!
父親としての本能的な怒りのほむらが燃え上がる
  「まあ・・・・激しい歓迎ぶり・・・・」
と保母さんがとりなすので、秘かに握りしめたこぶしを抑えて、
  にこっ、「吾子ちゃんを叩かないでねぇ」
と引きつった笑いをするしかなかった。
  吾子ちゃんのパパ....?
子はというと、どつかれた瞬間は呆然とした顔をしていたが、泣くこともなく、いつものそっけなさで私にバイバイしていたから、よくわからない。

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2002/2/25(月) →題名目次
ネムリノクニ 生後871日(2歳4カ月17日)

 昼飯は意外に簡単に落着した。私の「朝飯」のサンドイッチを狙ってきたのだ。サンドイッチを見て、
  「パーン、パーン!」
とねだるので、半分明け渡してしまった。ま、半分で足りるだろうと。しかし、私が残りの半分を食べ終えたところで、
  「パーン、パーン!」
とまたもパンコール。ああ、子の食べたいものを父ちゃんが食ってしまった!だが、子の皿を見ると、せっかくのサンドイッチの、ハムとチーズとレタスもトマトも除去して、パンだけしか食べていない。罪悪感を感じる必要もなく、食パンをちぎりちぎり食べさせると、6枚切りの2枚半も食べてしまった。あとになって、食いたいだけ食わせておいて良かったことが判明する。

 土曜日に子が保育園で描いた落書き、それが昨夜、通園バッグから発見された。それをテーブルの上に4つ折のまま出しておいたのだが、
  「あ! 吾子の!」
と指摘するのだ。あのような落書き、傍目には個性を感じるものではないが、作者本人には独創性が見えるのだろう。感服した。

 できれば私の手で昼寝をさせたい。妻の帰宅は今日は遅いのだ。
  「眠い? ねんねする?」
  「うん。・・・・ママ」
だめだ。ママなしでは寝室にも赴かない。そもそも、朝、車を発した時点で、なぜだか母が恋しいらしく、
  「ママー、ママー」
と泣き出した。こういうことはついぞなかった。みずからも体の不調を感じ不安だったのだろうか。また、帰宅したときにも、戸口で、
  「ママ?」
と母親の在否を気に掛けていた。

 そのまま寝ることもなく、時間が経つ。近くに寄り添っていたが、長丁場になることを予想して、ほとんど独り遊びに近い状態に置いておいた。もちろん心なしか淋しげだ。

 それまで描いていたお絵かきボードを、寝そべっていた私に投げつけた。いや、本人は「投げつけた」というより、興味を失ったからポイ、と投げただけだろう。頭を直撃された私が思わずたしなめる。
  「投げちゃだめでしょ!」
しまった。おそらく眠くて不安定なときにたしなめたりしたら、泣かしてしまう。今はしつけの時ではないのに! 懸念したように、子は、うらめしそうな目で私を見ている。あ、やっぱり泣くのか?
  「・・・・どーじょ」
そういって、お絵かきボードを私に手渡した。みずからの行為を反省して、やりなおしているのだ。
  「ぽい・・・・」
おそらく、「ポイしちゃだめなんだね」と言っているのだろう。先ほどの間も、自分の行為を反芻していたのだ。
  「そう。ポイだめだよ」
  「うん・・・・」
なんていじらしい!

 やっと妻が帰ってきた。子の顔もパッと明るくなる。私としては早く昼寝に就かせてほしいものだが、掃除やら洗い物やらして、昼寝に入ったのは3時も過ぎてであった。
 妻も、そして私も眠りに引き込まれ、私が6時に目を覚ましたときには、しばらく前に妻も起きたところだったが、子は起きてくる気配もない。いつ起きるか、いつ起きるか、待ちかねた末に起きたのは、7時間半も経った11時半ごろであった。昼間たっぷり食べたおかげで、空腹で目覚めることはなかったのだろう。
 まだ横になったままの子に、
  「ご飯食べる?」
と聞いたらうなづいて起きてきた。さすがに腹が減っていたようだ。相当食った模様。

 そして、起きてからたった1時間でまた眠りに就いた。
 こうしてみると、見た目と違って体調はやはりよくないのだ。素人判断はたとえ親でも恐ろしい。先生のご判断どおりであった。改めてあの名医を尊敬する次第であった。ちなみに先生は、
  「もうすでに病気に対して勝ちの方向に行ってるね」
とおっしゃっていたから、快復も間近であると信じられるわけだ。

 いや、正直に書こう。前の記を書いたときも、本当は保育園に行っても大丈夫なのではなかろうか。でも、先生がおっしゃることだから(しかたなく)従おうと、自分に言い聞かせる気持ちが大きかった。しかし、こうしてみると、本当にプロのいうことは正しいのであると本心から思うのである。締め切りを過ぎて一昨日催促まで受けてしまった仕事は手つかずに終わってしまったが、やむをえない。もし、保育園に連れて行っていたらどうなっていたか。完全に体調を崩していたことだろう。

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2002/2/25(月) →題名目次
寝汗 生後871日(2歳4カ月17日)

 昨夜は寝苦しそうだった。夜泣きを繰り返し、寝汗でびしょり。
 運良く、私が自然に目覚めて起こすまで妻も寝ていたので遅刻決定、てきぱきと子のおでかけ準備ができた。穏健派の私(弱腰とも言う)ではもたつくところを、強硬派の妻の手に掛かればおでかけ準備などあっという間なのだ。熱は36.0℃しかないが、保育園に行く前に病院へ。
 開院時間直前に到着したが、週明けだけあってだいぶ待たされた。かつて我々もそうであったように、法定伝染病かなにかでスルーパスしていった患者もあったようだが、お互い様だ。
 土曜日にも妻が連れて行ったばかりだ。喉はやはり腫れている。インフルエンザの可能性もなきにしもあらずだが、寝汗中に熱を計っていないのでなんとも言えない。保育園は休ませよとのこと。見かけ上、休ませなければならないように見えなかったので、再度、聞き直したが、間違いなかった。
 多少、機嫌が悪くなりがちだが、熱もないし、実感としては、保育園に連れて行ってよいように見える。車を停めた川沿いの公園で、元気に動き回っている吾子(今日は寒いのに!)を見るとその思いはひとしおだ。ハトを見て、
  「ポッポ、ポッポ!」
と呼びかけている。健康そのものに見える。しかし、信頼できるプロの言葉は、素人考えでどうこうしてよいものではない。これは私の処世訓のひとつ、しかも重要な処世訓のひとつである。プロを疑うなかれ! プロの言葉は信じよ!もちろん世の中には、プロ、と謳っていて、実は騙りである人もいる。昨今の新聞ネタには事欠かない。それでも、信頼の置けるプロはいる。たしかにいる。この先生は、そのプロのおひとりでいらっしゃることに疑いない。
 ・・・・そういうわけで、私の解放された時間は、土曜日いちにちにして終わりになってしまった。今晩から明午前中にかけては、在宅待機して仕事をしなければならない。

 公園から無理矢理連れ帰って、投薬準備。先日、妻がヤクルトに混ぜたあの強烈にまずい薬(抗生物質)を渡されていた。まずい!
 錠剤である。まず、子にお茶をひと口飲ませて、子に言い聞かせる。
  「これを噛まずにごっくんしてごらん」
  いや! いやなーい!」
作戦その1不発。
 子も好んで飲む、咳止め鼻水止めの水薬に、錠剤を砕いて溶かしこむ。嘗めてみると、ヤクルトよりだいぶましだ。それを小さなカップから直接飲ませる。しかも味が分からないうちに嚥下させるため、
  「ハイ、これ飲んで、いつものお薬、いっきに飲んで飲んで!
と急き立てる作戦が当たった。・・・・溶かし込んだはずの薬はほとんど下に残っているじゃないか!
 すかさずフォローに入る。そのカップにお茶を入れて、
  「ハイ、お口直し。これもいっきに飲んで飲んで!
まだ下に残っている、
  「ハイ、もいっぱい、もいっぱい!」
子は、いつも飲むお茶を小さなカップから飲むのに新鮮味を感じているらしく、意外にも乗ってきた。どうやら、ほぼすべての薬飲ませることに成功したようだ。針を隠すなら藁の中。苦い薬は苦めのお茶と!嘗めてみると、やはり錠剤の苦味は感じられた。よく飲んでくれたもんだ。今後、妻が帰って来る前に、昼寝と昼食をなんとかしなければならない。

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